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【マジで動くの!? 超希少】世界初の市販クォーツ腕時計“セイコー アストロン”、70年代のスイス時計産業衰退との因果関係とは【菊地吉正の時計考_002】

連載2回目の今回は、先日久しぶりに実機を見たセイコー クォーツ アストロンが登場した1970年以降の時計界について簡単に触れたい。

さて、みなさんは世界の時計産業界に大きな影響を与えた二つのイノベーションが1960年代後半の日本で実用化されたことをご存じだろうか。そのひとつは機械式腕時計の時間の精度をより向上させるための “高振動化”、そしてもうひとつは“クォーツ時計”の登場である。今回はアストロンを筆頭とする後者の“クォーツ時計”について取り上げたいと思う。

世界で初めて市販化されたクォーツ腕時計がここに取り上げたセイコー クォーツアストロンだ。発売されたのは69年12月25日。時間が遅れたり進んだりと1日の誤差を表す“日差”が数秒から数十秒が当たり前だった当時、アストロンは日差±0.2秒(月差でも±5秒)という圧倒的な精度を実現した。機械式に比べていかに正確だったかがこの数字を見てもおわかりいただけるだろう。そのためアストロンの価格は当時の大衆車と同等の45万円とかなりの高額だった。

では、そんな高額なクォーツ時計がなぜ「クォーツショック」と呼ばれるほど当時のスイス時計産業に大打撃を与えるに至ったのか。それはセイコーが特許権利化したこの技術を公開したことにある。

既存の国産時計メーカーはこれにいち早く追随。その結果、技術的な進歩に加え、量産化や低価格化が加速して、70年代半ば以降、爆発的に普及。79年には国内生産比率でクォーツ式が機械式をはじめて上回り、全盛の時代を迎える。

その頃のスイス時計産業といえば、手工業的な産業構造から抜け出せず人件費など生産コストがもともと肥大化傾向にあったところへオイルショック、スイスフランの高騰がさらに追い討ちをかけていた。そのためコスト削減を強いられていた時代だった。

そんななか正確で安価、しかも短期間で製造できる日本製クォーツ時計が世界中に輸出されるようになり、その影響もあって1980年代前半のスイス時計の輸出量は70年代半ばの2分の1に激減してしまったといわれる。当然スイスの時計産業も生き残りをかけてクォーツ時計の開発に舵を切らざるを得なくなり、時計市場の主流が一気に機械式からクォーツ時計に置き換わっていったというわけだ。

クォーツショックばかりがクローズアップされるが、70年代後半にスイスの多くの時計メーカーが倒産に追いやられた背景には、実は手工業的な体質から脱却できずにいたスイス時計産業の構造自体に問題があったのである。

ちなみにこの個体は1970年に製造されたもので、ケースに傷も少なくコンディションも非常に良い。さらに驚くのが超希少な可動品であるばかりか純正の尾錠が付属しているコレクター垂涎の一品。

参考文献◎Antique Collection 国産腕時計大全 (LowBEAT編集部)
時計◎セイコー クォーツ アストロン。Ref.35-9000。K18YG(36mm径)。クォーツ(Cal.35A)。1970年製。220万円/LowBEATマーケットプレイス内(BQショップ)

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菊地 吉正 - KIKUCHI Yoshimasa

時計専門誌「パワーウオッチ」を筆頭に「ロービート」、「タイムギア」などの時計雑誌を次々に生み出す。現在、発行人兼総編集長として刊行数は年間20冊以上にのぼる。また、近年では、業界初の時計専門のクラウドファンディングサイト「WATCH Makers」を開設。さらには、アンティークウオッチのテイストを再現した自身の時計ブランド「OUTLINE(アウトライン)」のクリエイティブディレクターとしてオリジナル時計の企画・監修も手がける。
2019年から毎週日曜の朝「総編・菊地吉正のロレックス通信」をYahooニュースに連載中!

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