筆者が編集者として高級時計に携わるようになったのは1990年代である。ちょうどハイブランドブームの時代だ。グッチ、プラダ、ルイ・ヴィトン、そしてエルメスといったハイブランドのバッグや小物が若い女性の間でもブレイクして社会現象化。それらの並行輸入品や中古品を扱う店がどんどん増え、質店までもが販売を主とした専門店を展開するなど新たなトレンドとして注目された。
そして“ブランド雑誌”と呼ばれ、それらの商品を紹介する雑誌が各社から創刊。正規の情報を掲載するファッション誌とは一線を画す新たなジャンルとして確立された頃だ。そして当然のごとくこれらのショップではロレックス、ブルガリ、カルティエといったハイブランドの時計も販売され、2次流通市場が急激に成長し活況を呈していた時代だ。
一方、同時期にはロレックスが空前のブームを迎えていた。その引き金になったのは、みなさんもご存じの97年に放映されたドラマ“ラブ・ジェネレーション”。当時ファッションリーダー的存在だった木村拓哉氏がドラマのなかで着けていたエクスプローラーがブレイク。これがブランドとしての存在をさらに広く一般に知らしめ、ひいては高級時計自体にも目を向かせたことは言うまでもない。
そして90年代後半になると、フランク・ミュラーやパネライといった新興の時計ブランドが台頭。シャネルやブルガリも時計市場に本腰を入れ始めるなど、パテック フィリップ、オーデマ・ピゲ、ヴァシュロンコンスタンタンなど歴史ある老舗ブランドにはない新しさから業界人などファッションリーダー的な人たちから注目され、一気にブレイク。パネライに至っては“デカ厚”という新たなトレンドまで生みだしてしまった。
つまり、ロレックスに加えて新興ブランドの台頭が、時計市場を活性化、より幅広い層から注目が集まるようになり、2000年代の空前の時計ブームへとつながっていったのである。
そんな90年代だが、けっこう魅力的な時計が誕生している。もちろんケースや中の機械など現行品に比べると劣るかもしれないが、60年代以前のアンティーク時計のように気を使うことなく日常で十分使えるし、いまと違って小さめで薄くて着けやすい。そして何よりもあまり注目されていないため市場が荒らされていない。比較的に手の届く価格帯でいいものが手に入るという点など魅力は多い。
ちなみに、ここに取り上げたのは筆者が2021年に手に入れたIWCの「THE 8541」という時計である。64年に開発されたIWCの傑作といわれるペラトン式自動巻きムーヴメント、Cal.85の完成形で70年代に登場したCal.8541Bというオールドムーヴメントを搭載。90年に発売されたものだ。
あまり知られていないため、日本で探しても並行輸入店では見つからず、ドイツに本拠を構える世界最大の高級時計のマーケットプレイス“Chrono24”に1本だけあって、それをドイツのショップから購入したという代物。
箱は無かったがそれ以外の保証書やブックレットなどの付属品もすべて揃っていた美品。18金ケースでしかも裏ブタはトップの写真のように開閉式の18金ハンターケースになっているため、ムーヴメントを見ることもできる。そして注目なのはその価格。少し安くしてもらって4000ユーロ(当時129円換算で51万6000円)。なかなかのコスパだ。
現在は絶版だが、かつて筆者は1970〜90年代の人気時計を編集部でセレクト。164本を1冊にまとめたMOOK本「POSTVINTAGE Life(ポストヴィンテージライフ)」を刊行している。90年代の人気モデルも掲載しているため、どんな時計があるのか気になる人は参考にしてもらいたい。
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